ペンギンオヤジのB読書-2

ペンギンオヤジの読書と学びの記録

【マスコミ的正しさを疑え!】「「反権力」は正義ですか」飯田浩司:著

 

「「反権力」は正義ですか」表紙


「「反権力」は正義ですか ラジオニュースの現場から」
飯田浩司:著
新潮新書

 

ニッポン放送のラジオパーソナリティである飯田浩司氏がマスコミ報道の現場で感じてることをまとめた1冊。

 

本の中では、自身もラジオ報道の現場に立つ一人として現在のマスコミの報道姿勢に対して思うことが綴られていて時にそれは批判として、時にそれは迷いとして素直に述べられてます。

 

読んでいて著者の言葉に大いに共感することが多かったのですが、それは机上の空論や「べき」論ではなく、実際に現場に足を運び、人々の声を聞いて、著者が肌で感じたことがベースにあるからだと思うんですよね。

 

  • 普天間基地の辺野古への移設問題と地元の人たちの思い
  • あまり報道されない自衛隊の爆破物処理活動の現場
  • 福島の農産物が受けた風評被害を払拭するために頑張ってる人たち
  • 就職氷河期、リーマンショックで苦しんできたロスジェネ世代

こうしたあまり報道されない人々の声を取材の現場で丁寧に拾い上げると、テレビなどで報道されてる姿とはまた違うもう一つの現実が浮かび上がってきます。

 

それと、この本を読んで「だからマスゴミなんだよ」と批判したり、溜飲を下げるのは決して著者の本意ではないと思います。

 

議論は、戦わせるものではなく、深めるもの」という言葉に込めた著者の思いを是非とも考えながら、読んで欲しいなぁと思います。

 

アマゾンの内容紹介

「マスコミの使命は権力と戦うことだ」そんな建前でポジションを固定して良いのだろうか。必要なのは事実をもとに是々非々で議論し、より良い道を模索することのはず。経済や安全保障を印象と感情で語り、被災地の悪しき風評を広める。その結論ありきの報道は見限られてきてはいないか―人気ラジオ番組パーソナリティとして、また現場に出向く一記者として経験し考えてきたことを率直に綴った熱く刺激的なニュース論。

マスコミの役割とは

業務用ビデオ撮影をする人

今の時代、読者、視聴者の生活を豊かにするためにマスコミが報道を通じて提供すべきは、「考えるための材料」だと思います。すなわち「根拠を示す」報道、「一次情報を必要以上に加工しない」報道、「誰の主張かクリアな」報道……一言で言えば、「透明性の高い報道」によって、視聴者や読者が純粋にニュースについて考えることが出来ます。

 

報道の根本の精神は論点を明らかにして議論に資するものにし、その結果として健全な民主主義の発展に資するものであることです。

 

いつの頃からだろうか、ネットスラグとして「マスゴミ」という言葉をよく見かけるようになったのは?

 

私が子供の頃はテレビのニュースやマスコミというものは、とてつもなく厳正なもの、難しいものというイメージがあったように記憶してます。

 

それが今ではニュース番組(と呼んでいいのかも迷うが)のいくつかはワイドショー化して、専門家でもない芸能人の井戸端会議のようになってしまいましたよね。

 

簡単にネットにアクセスして情報を「取り」に行き、自分の意見を「発信」することができるようになった今、「マスコミも晒され評価される時代」になっというジャーナリストの佐々木俊尚氏の言葉も文中で引用されてます。

 

そんな時代の変化の中で、ラジオのニュース番組のパーソナリティを務める著書は現在のマスコミ報道の在り方に疑問を投げかけ、時には批判的な言葉も書き連ねます。

 

その反面、読んでいて行間からは著者の迷いのようなものも感じ取ることができました。

 

本来、「事実」と「意見、主張」は分けて語られるものだと思うんですよね。

 

だけど、その二つがゴチャゴチャに混ざって報じているマスコミや番組もあるし、一方的で時には偏向的な主張を繰り返す(だけの)MCやコメンテーターが散見されます。

 

そんな中にあって、「考えるための材料を提供する」「透明性の高い報道」を訴える著者の主張に私はとても共感を持ちました。

分かりやすさの罪

「辺野古」の看板

メディアの作る側も受け手も、ニュースに「分かりやすさ」を求めます。 しかしながら、分かりやすさだけを追求すると、問題を単純化しすぎて視聴者をミスリードするリスクがあるのです。(中略)国家の経済を「家計」に例えるパターンなどはその最たる例だと思います。

 

しかしいま、メディアが伝えるニュースには「省略」「言い換え」「単純化」があまりに多く、大事な視点や論点が見落とされ、省かれ過ぎていると感じます。

 

昔のニュース番組は本当にお堅いイメージだったし、難しくて分からないことばかりだった(まぁ、私の知識が足りなかったせいもあると思いますが)j。

 

それが池上彰さんが登場してきて「分かりやすいニュース番組」というのウケるようになってきたような印象があります。

 

まぁ、それはそれで良いことだと思うんですけど、世の中には「YES」か「NO」かで割り切れないこともたくさんあるんですよね。

 

いまだに法廷闘争を繰り広げてる沖縄の普天間基地の辺野古への移設の問題。

 

この問題で現地に取材に行かれた著者は、そこで「賛成」でも「反対」でもなく「どちらでもない」という人がいることを知ります。

 

だけど、多くのマスコミは反対を訴える人たちの姿を取り上げ、沖縄に米軍基地が集中してる現状の問題を伝えてますよね。

 

私としては日米安全保障のために沖縄の皆さんに多大な負担を強いてる現状を全面的に「良し」とする気はありません。

 

だけど、米軍基地が沖縄にもたらす経済的な効果というものあるわけだし、地理的に沖縄に米軍基地があることで守られてる日本の安全保障面でのメリットというのもあるんじゃないかとも思うわけです。

 

辺野古というか沖縄の方々の生活の問題、安全保障の問題、経済的な問題、いろいろな問題が複雑に絡み合ってるからこそ、単純に「YES」とも「NO」とも言えない。。

 

こういう問題を扱うとき、単に「分かりやすさ」だけで報じてはいけない、という著者の主張にうなずくと共に、ニュースを受け取る私たちも一つの問題を考える時に、色々な視点を持たないといけないことを改めて教えられたように思います。

 

最後に、この言葉を・・・

社会の問題であろうと、人生の問題であろうと、そう簡単に割り切れるものではないのではないでしょうか。「どちらでもない」人の存在や、その苦悩を伝えることもまたメディアの役目のはずです。

安心と安全

放射線の線量計

たしかに安心と安全は違います。しかし、メディアがここまで雰囲気に流されて良いのか、と思います。雰囲気に流されて報道すれば、いっとき視聴率は稼げるのかもしれませんが、その結果視聴者を間違った方向へとミスリードすることになります。

 

トリチウム水についての報道では、科学的には安全であることを伝えながらも、漁業者の不安の声を伝え、最後にスタジオで「風評が心配されます」といった無難なコメントで締めるというのが定番です。しかし、メディアの仕事は風評を「心配する」ことではなく、「払拭する」ことではないでしょうか。

 

震災直後は連日、被災地の様子がマスコミを通じて伝えられてたけど、あれから9年が経って今では3月11日の前後に現在の被災地の様子を映して「復興は道半ばです」ですというテンプレ的な報道があるだけになってしまいましたね。

 

3.11の原発の事故で福島産の農作物が多大な風評被害を受けたことは、ご承知のとおりです。

 

事故後、そういう風評被害を払拭するためにに行われてる福島産のお米の全数全袋検査の様子について著者が取材した様子が本書の中で綴られてます。

 

検査の様子を読むと、「安全」を担保するためにものすごい手間ひまをかけて苦労されてることが伝わってきます。

 

他方、福島には現在進行形で貯まりつづける処理水(トリチウム水)をどうするか?という問題があります。

 

もうこれ以上、処理水を保管する場所がない!という切羽詰まった状況の中で海洋放水することに反対してるのが地元の漁業関係者。

 

科学的にトリチウムが人体に対して「安全」であることが分かっていても、他県の人たちの「本当に大丈夫なのか?」という「不安」はぬぐえない。それが反対の理由。

 

「安全」と「安心」。似て非なるこの2つの言葉。築地市場の豊洲移転問題のときにも、ワイドショーでよくこの言葉を耳にしましたよね。

 

あの時もマスコミは散々、不安を煽るだけ煽ってたという印象しかありません。。

 

「メディアの仕事は風評を「心配する」ことではなく、「払拭する」ことではないでしょうか。」という著者の言葉に「その通り!」と大きくうなずいてしまいました。

ロスジェネ世代へ

氷河期世代のイメージ

1993年~2004年に社会に出た世代は「就職氷河期世代」、一部では「ロスジェネ世代」とも呼ばれています。

 

個人がどんなに努力しても、その時の経済環境によっては覆せないほどの重いハンデを背負わされてしまうことがあるのです。

 

著者の飯田アナは1981年生まれ・・・大卒で就職したのが2004年の春、ロスジェネの最後の方の世代ですね。

 

つまり、当時の世相や就職状況がいかに厳しいものであったのかを肌で感じとっていた世代でもあるわけです。

 

この世代で内定が出なくて仕方なく、契約社員、派遣社員として社会に出ていった人たちを4年後、リーマンショックが襲います。

 

その頃、「派遣切り」の憂き目にあった多くの人たちは飯田アナの同世代だったのです。

 

それだけに本書の後半で語られてる日本の経済政策やそれを報じるマスコミの在り方について言及するところは読んでいて鬼気迫るものを感じました。

 

何度でも繰り返しますが、特にマクロ経済政策は失敗すれば人が死ぬのです。その自覚が、既存メディアには希薄な気がしてなりません。

 

「デフレは人を殺す」

 

完全失業率と経済的困窮による自殺者の推移はほぼリンクしてます。つまり、デフレ不況で多くの人が命を絶ってしまったのです。

 

なぜ、失業で自殺をする人が増えてしまったのか?その発端では何があったのか?実際のデータをもとにして著者は消費増税や日銀の誤った金融政策をその原因として指摘します。

 

現在は、アベノミクスや「黒田バズーカー」と呼ばれた日銀の異次元の金融緩和で失業率はだいぶ持ち直してきました。

 

なぜ、金融緩和で失業率が改善するのか?

 

金融緩和が雇用に対してどういった作用を生むのか。これについては理論的な裏付けも存在します。すなわち、失業率と物価上昇率の関係性を説明した「フィリップス曲線」です。

 

失業率とインフレ率は負の相関関係にあると説明されています。

 

金融緩和を行ったことで、失業率が改善されたことは経済理論によって説明がつくわけですが、日本マスコミは「金融緩和で銀行の経営が苦しくなっているとか、マネーの流れに歪みが生じている、あるいは日銀が買い入れる債券や金融商品が多くなって市場の機能が損なわれているといった批判ばかり」だと、著者はマスコミ報道に苦言を呈します。

 

そう言えば、「日本がデフレになったのは、中国製の安い商品が大量に輸入されるようになったからだ」というトンデモ理論を垂れ流していたマスコミもありましたね。

 

中国製の安い商品を輸入するとデフレになるなら、同じく大量に輸入しているアメリカがデフレになっていないのはおかしい!と簡単に論破できるんですけどね。

 

「マクロ経済政策は失敗すれば人が死ぬ」と警鐘を鳴らす著者の主張には是非とも本書を読んで耳を傾けて欲しいと思います。

まとめ(私が感じたキラーフレーズ5選)

「まとめ」の札

●報道に携わる人間は政策についてよく学び、国民への影響、メリット・デメリットを是々非々で評価すべきなのではないでしょうか。

 

●議論は、戦わせるものではなく、深めるもの。

 

●メディアが伝えるニュースには「省略」「言い換え」「単純化」があまりに多く、大事な視点や論点が見落とされ、省かれ過ぎていると感じます

 

●メディアの仕事は風評を「心配する」ことではなく、「払拭する」ことではないでしょうか。

 

●特にマクロ経済政策は失敗すれば人が死ぬのです。その自覚が、既存メディアには希薄な気がしてなりません。

感想

読書の感想イメージ

 

著者が指摘するマスコミの報道姿勢の問題などについて大いに共感するところも多かったのですが、「だからマスコミは・・・」と批判するだけじゃダメだと思うんですよね。

 

私が思う「私たちに必要な二つのこと」

 

一つ目は「メディアリテラシー」を身につけること

 

本の中で著者が様々に指摘している通り、今のテレビや新聞の報道には「単純化」「切り取り」「偏向」など様々な問題があるのは事実だと思います。

 

そういった情報を受け取る側にいる私たちは、マスコミの出す情報を頭から信用するのではなく、時には自分で一次情報に当たったり、専門家の意見などを調べたりしながら情報を取捨選択していく能力が必要だと思うのです。

 

そうでないと、マスコミに踊らされるだけになってしまいますよね。

 

二つ目はSNSで発進する時に私たちもメディア側にいることになるということ。

 

一番分かりやすいのは、良かれと思って拡散したツイートなどが実はデマであった場合などです。

 

特に災害などが起きた時は出どころ不明の怪しい情報がネットで拡散され、実社会が大騒ぎになることがありますよね。

 

マスコミに対して「取材不足だ!」などと言ってるその言葉が大きなブーメランになって我が身に跳ね返ってきます。

 

もちろん一番最初にデマを流した人が悪いに決まってますが、それを何の疑いもなく拡散してしまうと、自分もまた加害者になってしまうということを忘れてはいけないのです。

 

2020年の春。私たちは現在進行中で新型コロナの渦中にあります。連日、テレビや新聞では関連のニュースが大量に流されてます。

 

「マスクやトイレ紙の買い占め問題」「PCR検査はどんどんするべきか否か」「緊急事態宣言や都市封鎖」

 

マスコミの報道姿勢が問われる一方で、私たちのニュースに対する向き合い方も同じように問われてることを忘れてはいけない。そんなことを思わせてくれる1冊です。